私のバークリー音楽大学留学記 01

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2000年1月から2004年9月までのバークリー音楽大学への留学体験記を残します。

第1回目は「きっかけ」です。

私のバークリー音楽大学留学記 01
1971年2月11日に浜松市に生まれ、

私のバークリー音楽大学留学記 01
幼稚園の頃にピアノを習っていた近所の幼馴染に刺激されエレクトーンを習い始めました。が、長続きせず1年程で辞めてしまいました。

その後小学生になり2年生の頃になぜかサッカー少年団へ。でもやっぱり続かず3年生で辞めてしまいました。

その頃両親に連れられて行ったヤマハ吹奏楽団のポップスコンサートで子どもながら『ああ、こんな世界もあるんだね!』と思い、音楽に興味を持ち始めました。

小学校の運動会や音楽会で見た金管バンド部のトランペットに興味を持ち、4年生で金管バンド部に入部をしました。が、興味のあったトランペットパートには空きはなく、全く興味のなかったパーカッションパートに入りました。

5年生になり念願のトランペットパートへ!そこから高校1年生の夏までトランペットパートで頑張っていましたが、当時の先輩の『お前はこのままトランペットを続けても上手くならないからパン1個おごってやるからパーカッションやれ』の一言でパーカッションパートへ。
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私のバークリー音楽大学留学記 01

今になって振り返るとそこから人生が変わり始めました。

全く興味のなかったパーカッションでしたが少しずつ興味を持ち始め、高校卒業後もマーチングバンドやバンドに参加したりしていました。

1992年以降については→こちら←に記されておりますが、浜松市内の高校で初めてパーカッションの指導という経験をさせていただいたり、アメリカのDCIという団体が毎年開催するマーチングの世界大会を見学しに初渡米しました。
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1992年チャンピオンのThe Cavaliers(キャバリアーズ)の練習風景


1992年チャンピオンのThe Cavaliers(キャバリアーズ)の決勝でのパフォーマンス

その後平日は浜松で会社員をしながら休日は愛知県豊田市や浜松市でパーカッションの指導をさせていただくという生活の中で『せっかく指導させていただくのなら音楽やパーカッションについてもっと勉強したい!』という気持ちが少しずつ強くなり1998年には『どうやって勉強すればいいんだろう?』と具体的な方法を探し始めていました。

つづく


←宜しくお願い致します!


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